関西観八会

観音寺第一高校第8回卒業同窓会関西部会

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2012年関西観八会総会 
5月15日の朝6時、神戸では雨は降っていなかった。今日は葵祭観覧をメインイベントとする関西観八会総会の日だ。数日前からこの日だけ雨が降るという天気予報。ほとんど諦めながらも一縷の望みを持って、京都市観光協会のページを開く。しかし残念。葵祭は順延との表示。
葵祭行列は11時に御所を出発するので、御所間近の蛤御門前、ホテル京都ガーデンパレスに10時45分集合の予定だったが、葵祭なしの場合は、11時45分直接懇親会場、東山安井の料亭“きのゑ”集合となっている。
今回も総会・懇親会を立案計画してくれた矢野君は、「遠方からの参加者や、順延を知らない人のために、葵祭用の集合場所に行く」と言っていたので、順延でがっかりしている彼を慰めるために私もそこに行った。

地下鉄丸太町駅に着いたのは9時15分頃。まだ早かったので御苑の中を覗いていくことにした。小雨の中、丸太町通りを御苑南西角から東に向かい、最初の御苑入り口「間の町口」に「葵祭順延」の立て札があり、観光客らしい人たちが数人、残念そうな顔をして立ち話をしていた。
間の口を入ってすぐ左方に、閑院宮邸跡が見えた。無料開放の立て札もあったので、懇親会場に行く前にみんなで観覧しようと考えた。

蛤御門から出てホテル京都ガーデンパレスに行くとすでに矢野君と福田小林両君が来ていた。
京都駅で香川からの大谷会長・西川・柴尾・岡田恭明・久保田の諸君を出迎えた脇君が到着し、それまでに集まった13名は、10時過ぎに蛤御門を入り、無人の観覧席を見ながら京都御苑内を通り、無料開放されている閑院宮邸跡を見学後した。美しい庭園や建物のほか、平安京大内裏が961年以降たびたび焼失した後、1300年代から現在の京都御所の地に落ち着いたことや、御苑の整備の状況などの展示があり、興味深かった。なお、閑院宮家は、伏見宮家、桂宮家、有栖川宮家と並ぶ四親王家の一つで、現天皇家は閑院宮系だそうだ。
閑院宮邸跡見学後、タクシーに分乗して総会・懇親会会場に向かった。

会場の純和風料理旅館き乃ゑ(甲)には三宅君、泉さん、畠中君らが早くから会員の到着を待ち受けていて、12時には香川からの5名を含め男性20名、女性10名全員到着した。
総会・懇親会は矢野君の司会進行で、永田の挨拶、大谷本部会長の音頭の乾杯で始まった。大谷会長からの全体総会を金比羅祭りに合わせて10月10日開くよう計画中との話、小山君の吹田市立博物館館長退任に伴い、観八会員が応援してきた同館の「さぬきうどんの会」終了の報告や5月20日に予定されている退任講演の案内、斉藤君の養生講義(?)、病気から回復して出席した片桐君や岡田恭明君、宮武君たちの近況報告などがあった。
あちらこちらで話が弾んでいたが、病気から回復して出席した会員がいた反面、直前の怪我で欠席やむなしとなった会員もいたこともあって、話題に健康や病気、怪我が多いように感じられたのは年齢からやむを得ないだろう。
楽しい語らいも大岡さんの中締め、さらに集合写真を撮って懇親会はお開きとなった。

懇親会の後は、近くの豊臣秀吉正室北政所ゆかりの高台寺を観覧した。高台寺は北政所が秀吉供養のため1606年開創した寺で、秀吉と北政所を霊屋(おたまや)に祀り、高台寺一世住持を祀る開山堂には彩色天井に北政所が使った御所車の天井が、また格子天井に秀吉御座船の天井が用いられている。臥竜池と偃月池を有する東西の庭園は小堀遠州の作。今は季節でないが、しだれ桜と萩の名所で桃山時代を代表する庭園として知られている。小雨が降っていたが、境内散策に支障はなく、三々五々案内順路に従って回った。
午後4時前に高台寺を後にして解散した。

ところで、大部分の会員にとって葵祭観覧券は不要となったが、私を含む6人は家族用にも観覧券を受取り、打って変わって晴天となった翌日、平安時代の衣装を着た行列の観覧を堪能した。
天気が一日違っていたらと、特に矢野君は残念だっただろうが、彼をはじめとする世話人の皆さんのお世話と、会員の皆さんの協力のおかげで、友人たちとの懇親会、高台寺参観の一日は楽しく、出席者の皆さんには葵祭の順延を補って満足してもらえたことと思いたい。
そして、10月10日には関西からも出来るだけ大勢出席して、全体総会を盛りあげたいものだ。
永田記          


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